お彼岸

micchoが何かと忙しそうにしているので、1日だけ裏管理人が記事を書きます。

21日日曜日の朝日新聞の天声人語によると、最近、有名人、偉人のお墓をめぐるのが、密かなブームとなっているのだそうです。そのような人たちを名付けて、「墓マイラー」と呼ぶのだとか。すでにおわかりのように、「墓参り」をする人なので、「マイラー」としたようです。

名称にはちょっと軽薄な印象も漂っていますが、このようにカテゴリーでくくることで、「墓めぐり」につきまとう、どこか暗い感じが一掃され、気軽に(というと語弊があるかもしれませんが)色々な有名人のお墓を見て歩くことができるのかもしれませんね。このような「墓マイラー」は潜在的にかなりいるらしく、このようなサイトもあるくらいです(これはすごいサイトです)。奥が深そうですね。

実際にこのような著名人のお墓を訪ねてみると、何とも言いようのない感慨がわき起こります。学校の授業で習った有名な人が、確かにこの世に実在し、そして亡くなってここに葬られているという事実が、様々な思いを去来させるのかもしれません。お墓は、自分自身と、葬られている人との間に介在し、距離を近づける働きもあるのかもしれません。

かつて、ボストンの街にある歴史的な建造物やスポットをめぐっていたときに、墓地に行き当たり、思いがけずコットン・マザーのお墓を見つけたことがありました。まだ、アメリカが国としての形を調えるはるか以前、1600年代の後半のピューリタン社会の中で、重要な役割を果たしたマザーは、有名なセイラムの魔女狩りにおいては、その裁判の正当性を主張し、アメリカの歴史の暗部ともいえる出来事にその名を残した人ですが、きわめて優秀な神学者であり、その貢献も多大なものがありました。

大学時代などで、この人の著作の一部を読まされたことがあったのですが、ピューリタン特有の、極めて退屈な文章で、正直言って、全く食指が動かなかったものです。しかし、実際に彼のお墓を目の前にしてみると、急にその退屈な文章が意味のあるものとして浮き上がってくるような気分を味わいました。お墓が、歴史上の著名人と現代に生きる自分とのつながりを作り出してくれたかのようでした。

さて、日曜からお彼岸に入っています。お墓参りにでは出かけられましたか? お墓には、上にも書いたように、違う世界に存在しているに違いない死者との距離を縮めてくれる働きがあるようです。亡くなった方との、久しぶりの「対話」のためにも、お彼岸のうちにお墓参りをなさってはいかがでしょうか。