近頃、映画「おくりびと」の影響で、生きること死ぬことが見つめ直されているようですね。
今日は、生と死に対する個人的な考えを書いてみようと思います。私が初めて人に死に直面したのは3年前。祖母の死でした。入院しほとんど寝たきりになっている祖母の様子を毎日見る中で、まず命の強さを感じました。食べ物が喉を通らなくなっても、衰弱し切っていても、呼吸をしている限りは生きている。寿命が来るまで命が存在する。生きるとは、なんとしんどい行為であるかということを見せつけられました。同時に、こんなにも強いものがストップしてしまう、死とはいかにしんどいことかと思いました。生きることと死ぬことは、もしかして同じことなのではないか。そんな思いが心に浮かんだ時、一冊の本に出会いました。
柳澤桂子著『生きて死ぬ智慧』です。日本を代表する生命科学者である氏が般若心経に解釈をつけたものなのですが、感銘を受けた私はそれから、死に向かう祖母の側で、その般若心経を実際に書き写してみることを始めました。すると、生死に対する自分なりの感じ方ができあがって行きました。生きることと死ぬことは、やはり同じこと。ただ、肉体として「ある」か、魂として「ある」か。この世は目に見えている、あの世は見えない。ただそれだけの違いではなかろうか。この世での姿かたちは仮のもので、本来は誰しも空(くう)の状態であり、死とは魂(=空)としての出発なのだと。
祖母が亡くなって数時間後、あらためて顔を見るとそこに横たわっているのは確かに祖母でしたが、その顔は私が初めて見る表情をしていました。きっと、こんな顔で生まれてきたんだろうと思わせるような、赤ん坊のような可愛らしい顔をした祖母がいました。きっと、あの世で生まれ変わったのでしょう。死は出発点であることを実感しました。今日は祖母の月命日です。もうすぐお経が上がります。

身内の死に直面すると『命』を感じずにはいられません。生きているときよりも『命』を強く感じるのですから。3/9は私の母の誕生日です。「おばあちゃん、何歳だっけ?」と聞かれ「69歳まで生きちゃった♪」命を感じる瞬間だったりして。
先ほどのコメントは砺波からです
身内の死に直面すると『命』を感じずにはいられません。生きているときよりも『命』を強く感じるのですから。ところで、3/9は私の母の誕生日です。「おばあちゃん、何歳だっけ?」と聞かれ「69歳まで生きちゃった♪」命を感じる瞬間だったりして。砺波より
コメントをどうもありがとうございます。返信が遅くなりまして申し訳ございません。お母様は69歳ですか。ふと思い出したのですが、英語で誕生日のお祝いに添える言葉に、”I wish you many happy returns of the day!”というのがありますね。「今日のよき日(誕生日)が、今後も何度も何度もめぐって(戻って)きますように」という、非常に気が利いた言い回しだと思います。お母様に、今後もhappy returnsが何度も何度もありますよう、心よりお祈り申し上げます。
私も「おくりびと」みてきました。
はじめは、死ということに直面することが怖かったのですが、
死は門出だということと、
死を迎えるときに、
どういう生き方をしてきたか、
ということに、前向きに考えて生きるという姿勢に
非常に感銘を受けました。
納棺師という職業がある事すら知らなかったですが、
やはり自分の周りにいる大事な人は、
ああやって、大事に見送られたいなと思いました。
タコのシーンがあるのですが、
脚本家が天草出身だそうで、
さすがだな、と思いました。
コメントをありがとうございます。
『おくりびと』、観たい観たいと思いつつ、人混みが嫌いな性格でいまだ実現ならず。今ではDVDが出ているようですね。
是非、観たいものです。仰る通り、死は門出だと思います。よき門出を迎えられるかどうかは、今後の生き方にかかっているとも思います。
タコの場面って、気になりますねぇ〜。