まんが道

裏管理人の発作的登場です。

このサイトでも何度か話題とされているように、藤子不二雄Ⓐ(安孫子素雄)先生は、氷見市の出身です。絲穂から徒歩1分もかからないところにある、光禅寺というお寺に生まれ、後に高岡市に引っ越しています。


大きな地図で見る

高岡高校を卒業後、安孫子先生は、後に「藤子不二雄」の共同ペンネームを使うことになる、故藤本弘先生(藤子・F・不二雄)と上京するまでの間、富山新聞に勤めていたこともあるため、彼の自伝的なマンガであり、ドラマ化もされた『まんが道』には、高岡市内(大仏なども)がかなり描写されているのは、ご存知の通りです。すでに漫画家として人気が出ていた手塚治虫への手土産に、富山を代表するお菓子である「月世界」を持参したりと、富山の人ならば、ちょっとマニアックな視点からこのマンガを読むこともできるでしょう。

連休に入って少し時間もできたので、この『まんが道』を久しぶりで読み返し、その続編である『愛…しりそめし頃に…』も現在出ている巻をすべて取り寄せ、読み始めました。この自伝的なマンガを読んで強く心を打たれるのは、今では伝説となったトキワ荘に集まった藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫、そして手塚治虫といった、後に日本の漫画界の中心となっていく人物たちが、マンガという表現形式を発展させ、読者に何かを伝えたいという純粋な思いを胸に、「青春時代」を過ごしていたということです(手塚治虫を含めて全員がまだ20代だったことには驚かされます)。マンガという媒体が、どのようなものになっていくのか、まだ皆目見当もつかないような黎明期ですから、こうすれば売れる、というような方程式も存在していません。将来自分たちはどうなっていくんだろう、という不安感も、これらのマンガの中では何度も吐露されますし、金銭的な危機も描かれます。それでも、描き続けなければ自分はないのだ、というような信念に基づき(それがたとえくじけそうな時はあるにせよ)、この若き漫画家たちは当時を過ごしていました。

あらゆる点において弱体化が目立つ今だからこそ、このマンガに描かれているような不器用なまでの「ひたむきさ」というのを、もう一度考え直してみる必要があるのではないかと考えていました。徹夜続きでマンガを描き続ける彼らの姿は、拡大していけば、そのまま戦後の日本が世界の中で這い上がろうとしている姿になるのでしょう。好景気の時に、「ダサい」、「カッコ悪い」ものとして、顧みなくなったこの「ひたむきさ」が、実はこれまでの日本の発展、繁栄を根底で支えていたものだったのかもしれません。夜を昼に継いで誠実にマンガを描き続ける彼らの姿には、個人的には勇気づけられるところが多いです。たとえマンガであっても、その中にある物語は、自分の足もとを考え直すのに十分なだけの力をもっているようです。