• 唐島のお祭り

    ちょうど一週間前の3日、氷見では一年の豊漁を願う唐島(からしま)のお祭りでした。この日は、普段は静かな丸の内界隈に、獅子舞の音が響きます。

    店の前で舞われる獅子と天狗の闘いは、とても迫力があります。

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    天狗は、格好いいですよ〜。

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    この時、偶然に居合わせた京都の問屋さんも、その躍動感にびっくりされておりました。氷見ならではの獅子舞を、いつか是非、ご堪能下さいませ。


  • 白大島を纏って

    今回のG.W.に、初めて袖を通す白大島を纏ってお出かけ下さったお客様です。大島の優しい色合いに、ひわ色の帯が絶妙にマッチし、初夏のようないち日にぴったりの装いでした。5月でも20度を超える真夏日ともなれば、単衣をお召しになることをお勧めします。他のお客様からも「素敵!」の声が、あちこちで。

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    白い着物には、白いバッグを合わせたくなるものです。この日は、こちらのバッグを新調されました。持ち手部分が組みひもになってる、当店でも根強い人気を誇るシリーズ。セミフォーマルにもカジュアルにも活躍します。また、ジーンズなど普段の装いにもうまく取り入れると、お洒落なコーディネートが楽しめますよ。


  • 今月のお花

    今月も、素敵なお花をいただきました。

    ミステリアスという名前のバラ、夏咲きスイートピー、利休草、カーネーション。いつも絶妙なタイミングで下さるので、美しい花が絶えません。命の象徴、元気の源ですから、何より嬉しいお心遣いです。

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  • 立夏

    今日は立夏です。ここ数日は気温も上がり、5月らしい爽やかな気候になって
    きました。

    庭のもみじも、葉が大きく成長し風にフワフワとバウンドしています。

    お出掛けの折には、緑の広がりを是非ご堪能下さいませ。

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  • 永江明夫氏の薩摩木綿

    通の着物です。綿を大島の機で織る薩摩木綿、現在は永江氏のみ織ることができます。柔らかな風合い、糸の繊細さはまさにハイクオリティの工芸品。単衣の時期に、サラリと都会的に着こなしていただきたい一反です。同系色の無地紬の帯を合わせて。無駄を削ぎ落とした、シンプルで美しい装いです。

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  • 一華開五葉、結果自然成

    「一華開五葉、結果自然成」いっかごようにひらき、けっかじねんなる。ひとつの華から五枚の葉が広がり、結果として自然に大きなものに成るという意味に解釈しています。好きな禅語のひとつです。

    五枚の葉を伴い美しく開いた花を見ると、いつも思い浮かべる言葉です。このような顔に出くわすと、今日はいち日うまく運びそうな気がします。今年はずっと気温が低かったので、例年より一ヶ月長く椿を楽しむことができました。

    今日から5月です。今月は、どんな花の表情に出会えるのでしょうか。どんな一ヶ月になるのでしょうか。葉が開くように、大きな広がり、良いご縁の広がる月になれば嬉しいです。

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  • まんが道

    裏管理人の発作的登場です。

    このサイトでも何度か話題とされているように、藤子不二雄Ⓐ(安孫子素雄)先生は、氷見市の出身です。絲穂から徒歩1分もかからないところにある、光禅寺というお寺に生まれ、後に高岡市に引っ越しています。


    大きな地図で見る

    高岡高校を卒業後、安孫子先生は、後に「藤子不二雄」の共同ペンネームを使うことになる、故藤本弘先生(藤子・F・不二雄)と上京するまでの間、富山新聞に勤めていたこともあるため、彼の自伝的なマンガであり、ドラマ化もされた『まんが道』には、高岡市内(大仏なども)がかなり描写されているのは、ご存知の通りです。すでに漫画家として人気が出ていた手塚治虫への手土産に、富山を代表するお菓子である「月世界」を持参したりと、富山の人ならば、ちょっとマニアックな視点からこのマンガを読むこともできるでしょう。

    連休に入って少し時間もできたので、この『まんが道』を久しぶりで読み返し、その続編である『愛…しりそめし頃に…』も現在出ている巻をすべて取り寄せ、読み始めました。この自伝的なマンガを読んで強く心を打たれるのは、今では伝説となったトキワ荘に集まった藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫、そして手塚治虫といった、後に日本の漫画界の中心となっていく人物たちが、マンガという表現形式を発展させ、読者に何かを伝えたいという純粋な思いを胸に、「青春時代」を過ごしていたということです(手塚治虫を含めて全員がまだ20代だったことには驚かされます)。マンガという媒体が、どのようなものになっていくのか、まだ皆目見当もつかないような黎明期ですから、こうすれば売れる、というような方程式も存在していません。将来自分たちはどうなっていくんだろう、という不安感も、これらのマンガの中では何度も吐露されますし、金銭的な危機も描かれます。それでも、描き続けなければ自分はないのだ、というような信念に基づき(それがたとえくじけそうな時はあるにせよ)、この若き漫画家たちは当時を過ごしていました。

    あらゆる点において弱体化が目立つ今だからこそ、このマンガに描かれているような不器用なまでの「ひたむきさ」というのを、もう一度考え直してみる必要があるのではないかと考えていました。徹夜続きでマンガを描き続ける彼らの姿は、拡大していけば、そのまま戦後の日本が世界の中で這い上がろうとしている姿になるのでしょう。好景気の時に、「ダサい」、「カッコ悪い」ものとして、顧みなくなったこの「ひたむきさ」が、実はこれまでの日本の発展、繁栄を根底で支えていたものだったのかもしれません。夜を昼に継いで誠実にマンガを描き続ける彼らの姿には、個人的には勇気づけられるところが多いです。たとえマンガであっても、その中にある物語は、自分の足もとを考え直すのに十分なだけの力をもっているようです。