• カテゴリー別アーカイブ あれこれ
  • センター入試

    今日は、大学センター試験の日です。

    富山では雪の影響もあり、まず会場に到着するまでの交通網なども、気がかりですね。

    ずいぶんと前のことになりますが、まだ暗い中、朝早くから電車とバスを乗り継いで富山大学に向かったことを、今でも覚えています。試験前の緊張感は独特で、心にしっかりと焼き付いています。

    できるだけの努力をした後は、度胸しかありません。センターは、本命大学の試験に備えた度胸試しの場として、緊張しながらも伸び伸びと受けました。
    いやはや、懐かしい。

    その時の、伸び伸びした感覚が、その後の試験にうまく活きました。自分のモチベーションやテンションを、いかにうまくキープできるかが、合格への鍵だと思います。

    受験までは、点数、番数、何かと数字で決め付けられてしまい、一喜一憂の毎日でしょうけれど、人と較べることなく、自分らしさ、自分のペースを大切に、受験生の皆さん、頑張ってくださいね。


  • 温かい部屋と雪景色

    昨日の昼間の様子です。粉のような雪が舞っておりました。

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    朝から風が強かったのですが、夕方になるとおさまり、舞っていた雪が積もり始めました。雪はしんしん積もると表現しますが、本当にしんしんいう音が聞こえ ますね。その情景を温かい部屋から眺めていると、素敵な気分になります。そこにクラシックが流れ、美味しいコーヒーがあれば最高。このカップは、久しぶり に出しました。外の寒さも忘れ、しばし癒される時間です。

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  • 寒波が来ています

    とても寒いです。

    いったん溶けた雪ですが、また積もり始める気配です。降り始めるまでが、本当に寒いんですよね。肌が切られるような寒さ。あまり歓迎しない一方で、それこそが北陸の冬を感じさせる寒さで、どこか嬉しい気持ちもあります。

    寒さに負けず、是非お越し下さいませ。このごろ、ウィンナーコーヒーが人気です。ココアもあったまりますよ。

    二階で着物の時間を満喫された後は、興奮冷ましのミックスジュースが美味しいそうです。ホットヨガもいいですけど、美しいものを見てテンションを上げる着物の時間も、心身ともに温まる時間です。

    外は寒波ですが、絲穂でしばしホットな時間はいかがでしょう。


  • 裏管理人独白:「悪徳の勧め」

    裏管理人です。日曜はこのサイトの通常の更新がない日ですので、その機に乗じてちょっとだけ書いてみます。

    先日の朝日新聞の夕刊に、経済学者で東京大学教授の岩井克人さんが、「悪徳の勧め」というちょっと面白い表現を使って、昨今の停滞している経済状況に関して、提言をしています。

    岩井先生は、まず経済学者ケインズによる「不況」の定義を紹介してくれます。

    不況とは、人が本来商品を買う「手段」であるお金を、将来への不安に備え、商品より欲しがって貯め込んでしまう状態だと、いったそうだ。お金さえあれば安心だと。で、物が売れないから売り手は値段を下げる。でも売れない。この状況をお金を貯めている側から見ると、お金の価値が上がることになるため、ますます貯め、また売れなくなるという悪循環。

    今のデフレ状態は、まさにこのケインズが定義する状況とぴったり符合しますね。各業界の一部の企業が、熾烈な価格戦争の中で商品やサービスの値段を下げることによって、「勝ち組」となっているわけですが、多くの経済学者や有識者が指摘している通り、長い目で見ればこの状況は、完全に自分の首を絞めていることにしかならないわけです。貯め込まれることで、お金は流れなくなってしまうと、最終的には「勝ち組」の商品やサービスも売れなくなり、結果的に自滅へと向かうのですから。

    岩井先生は、このような状態においては、各種のセーフティーネットの創設はもちろん必要だが、「悪徳の勧め」も必要だと述べています。

    質素、倹約に努めるという個々人の美徳的な行動が、まとまれば結果として、さらに人々の生活を脅かすものになる。昔から多くの経済学者が指摘していましたが、浪費や美食などの多少の悪徳を許して経済を刺激しないと、経済は生きていけないのです。

    「悪徳」という言葉に差し障りがあるならば、「心の余裕」とでも置き換えてもいいのかもしれません。今の日本の経済状況は、無駄な脂肪がない筋肉質の身体を通り越して、飢餓状態で骨と皮だけの身体になりつつあります。でも、一方でお金は万が一のために貯め込んでいる。お金は貯めているけれども、それを使わずに、自らを飢えへと追いやっているような状態です。岩井先生の言う「悪徳」とは、このような経済的身体に与えるべき「食べ物」だと言ってもいいでしょうか。お金を「食べ物」に交換することで、お金の流れが生じ、停滞が改善されていく一助となるのです。

    長く続く倹約生活には気持ちも荒んできます。自分を励ます意味で、「悪徳」をちょっぴりかじってみてはいかがでしょうか。

    岩井先生の『ヴェニスの商人の資本論』は面白いですよ。シェイクスピアの有名な『ヴェニスの商人』を、経済学の視点、特に「交換」という概念からダイナミックに解釈した論が巻頭に収められています。


  • 日常という贅沢

    例えば、花入れタペストリーの椿。この表情に、いつもホッとさせられます。蕾の頃から、今か今かと開花を待つ。毎朝水を新ため、この愛らしい表情を待つ。 日常とは、単に同じ事の繰り返しではなく、いち日として同じ日はないのだと感じます。

    日常は、贅沢でドラマチィック。咲かずに終わる花もありますが、それ もひとつのドラマですね。

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  • ご来店ありがとうございました

    昨日は、今年最初の営業日でした。たくさんのお客様にご来店いただき、縁起の良いスタートとなりました。皆さま、ありがとうございました。

    さて、今年の年賀状ですが、着物は辻が花の訪問着、帯はひなや製組み紐の袋帯という組み合わせでした。昨年より二階に展示しておりましたところ、皆さまより大好評をいただきました。訪問着の作家は実力派、小野順子さん。女性らしい優しく上品な作風が特徴です。


  • 三遊亭圓生のことば

    久々の「裏管理人」でございます。これまでは、氷見に来た時にのみ、このブログを乗っ取って更新していたのですが、micchoが26日に書いたブログの記事を見て、ふと、先日亡くなった五代目三遊亭圓楽の師匠である、六代目三遊亭圓生のエッセイを思い出したので、かいつまんで「抄録」という形で以下に載せておきます。話題の中心は、まさに「おあし」についてです。

    こういう言い方はおかしいかも知れませんが、最近は本当の馬鹿が少なくなりましたですな。どちらを見ても、どうも小利口なやつばかり多くって、つまり、今のお若い人は「おあし」のことばかり先に言ってね、銭を取ることを先ず先に考える。じゃあ、お前達はどうなんだって言われると、わたくしどもも若いときはやっぱり貧乏してましたから、早くお銭(あし)を取りたいと思いましたよ。そりゃあね、誰だって同じで、金は欲しい。

    でも、あたくしなんざ「金が欲しい」なんてことを言うと、こっぴどく叱られたもんです。「金なんてものは、芸が出来りゃ、黙ってても向こうから払ってくれる。そんな拙い芸で銭を取ろうったって、無理だ」言下にそう言われた。

    ところが、いまの若い人は、「芸なんぞべつにうまくならなくたって」てんで、手っ取り早い僥倖ばかり狙って、コツコツという感じの本当の勉強をしようとしない。 そんなことは面倒くさいんでしょうな。何をやってもいいから、とにかく銭を取ることを狙う。「銭さえ取ったら、それから後に、ゆっくりと勉強が出来る」という考えなんですな。

    あたくしなんかも、やっぱり若いときはそう考えました。どうしてこんなに貧乏しているのか、それがいやだったですよ、貧乏が。金が出来て、もう少し楽になったら、 もうちっとましなところへ行けるだろうし、後顧の憂いもなく勉強も出来るし、うまくもなれるんだ。そう思ったものです。ところが、現実には金が取れない。 しかし、よく考えてみたら、金を取れないほうがいいんです。何故かってえと、貧乏しているといやでも芸をおぼえるからです。現実に金がなけりゃ、結局、どうしようもない。勉強して、何とかなるよりしようがないから、それでやむを得ず勉強をする。

    あるとき、若い噺家が、「師匠の言う芸というのは、下からだんだん積み重ねてゆく、いわば頂点をきわめるのに、一段一段、階段を下から上がっていくようなものな んでしょう? あたしは頂上へ行くのに、そんなことはしないで、エレベーターで上がるように、すうっと、一気に上がりたいんです。一度上がってしまえば、たとえ悪くなっても、下がるときには、徐々にしか下がらない。そのほうが得でしょう」とこう言う。

    一度得た地位を維持できなくてもいいから、ともかくパーッと上がって、早くお銭(あし)を取りたいと言うんです。合理的といえば合理的。つまり、金銭の勘定だけからいえば、利口ですよ、その方が。人気が出たとき金を儲けておいて、その金でアパートでも建てておく。そうすりゃあ、家賃のあがりで、あとは生涯、十分に食っていけるじゃないか、といういうんですが……、しかし、芸人としてこういう考えは、あたくしははなはだ情けない料簡じゃないかと思う。あたくしどもは芸が好きで、それをやりたいから芸人になったんですからね。アパートのあがりで食うんだったら、旅館かどこかに奉公して、金をこさえてやりゃあいいんですよ。

    あたくしはやっぱり、乞食をしてもいいから、生涯、自分がこれと目指した業を続けて、それでめしを食うってことの方が立派な生き方じゃないかと思います。家賃のあがりで食うなんてえのは、それはもはや、おのれの初志とまるっきり違ったことをしてるわけなんですから、これほどみっともないことはないんじゃないか…… たとえお客の質が変わっても、いいものはいいという、こりゃあ変わらないだろうと思います。いかに世の中が変わったって、拙いものがよくっていいものがだめだという、そんな時代が来るわけがないですよ。食うものにしろ、着るものにしろ、芸にしろ、やはりいいものはいいんで、これはいいからだめだ、なんてえのはありません。

    ですから、あたくしには、いまの若い人の考えというのは逆だという気がしますね。世の中、銭勘定だけじゃだめだってことに早く気づいて、ある意味での危機感を持たないと、落語という芸そのものがすたらないとも限りません。

    落語なんて、つまらない単純なもののように思われていますが、ちゃんとした歴史と伝統があるんですから、どんな時代になってもそう簡単にすたれるもんじゃないと思います。けれども、正直なところ、芸の質が低下しているってことははっきりいえます。これは落語ばかりじゃありませんよ。なんの職でも、みんな一様に拙くなってるんじゃないでしょうか。

    あたくしが考えますには、どうも精神力に大きな差があるような気がしてならないんですよ。馬鹿になって、我慢して、一つのことに打ち込んでゆく人が少なくなりましたね。世の中、ソロバン勘定だけでは、つまらないものになるんじゃないでしょうか。

    いかがですか? 生前は、落語協会分裂などに代表される言動で、落語会に様々な問題も引き起こした圓生ですが、上の話にうかがえるのは、落語に限らず、ひとつの物事に精進し続けて初めてお金はついてくるという、至極真っ当でありながら、現代の私たちがすっかり忘れてしまっていることではないでしょうか。ともすれば、運頼みの一獲千金がもてはやされる昨今、圓生の言葉はあまりに地味なのかもしれませんが、大げさに言えば、悪循環に陥っている現在の状況から日本が脱出するための示唆に富んでいるようです。


  • おせち料理

    今年も残り数日となりました。おせち料理の準備はお済みですか?

    毎年わが家のおせちは、お隣の割烹しげはまさんにお願いしています。うちのお客様の分も一緒に。大晦日ともなると、きれいにお料理が詰められたお重がたくさん絲穂に届けられ、一気に店内がお正月気分になります。

    というわけで31日大晦日も絲穂は、お重を取りにいらっしゃるお客様や、ご丁寧に年末のご挨拶に見えるお客様などで、夕方まで慌ただしい時間が流れます。今年最後のお客様がお帰りになると、無事に一年を終えることができたという安堵感、心地よい疲労感に包まれます。私にとっておせちのお重には、見えない形ではありますが、このほっとした気分も一緒に重ねられているような気がしてなりません。