藤井絞の記憶─階段─

長年お付き合いの続いている問屋さんのひとつに、藤井絞さんがあります。それより以前の記憶はないのですが、3歳の頃には確実に「藤井絞」の中にいたことを覚えています。当時から、京都に行くと言えば祖母と母に連れられて問屋さん巡り。ふたりが仕入れをしている間は、何時間もずっと正座をして終わるのを待ちました。

藤井絞さんには、玄関を上がってすぐに二階へと続く階段があります。二階は仕入れの場所、一階は私が待つ場所。祖母と母が階段を上がることは、私にとってはお行儀よくしなければならない時間がやって来ることを意味し、子供ながらに結構な覚悟をしたものでした。その階段は、大人の世界と子供の世界を分ける境界線、大人になれば上ることのできる希望のようなものでした。

今、年齢だけは大人になった私は、もちろん二階へ通してもらえるのですが、嬉しい反面、身の引き締まる思いがします。子供の目線で見上げた階段は、とても高く大きく、まさに大人の象徴でしたが、当時心に描いていた大人像に近付くには、まだ時間がかかりそうです。いつか自信を持ってこの階段を上りたいと、いつも思います。