• 昨日のお客様

    3月4日に着付けの練習にいらっしゃったお客様、本日は袋帯にチャレンジです。

    お着物は同じ江戸小紋ですが、帯によって雰囲気がガラリと変わります。初めてのチャレンジでしたが、きちんと帯の形が出来上がっています。

    今度は、お子様の入学式にお召しになるそうです。卒業式と入学式で同じ着物を二度楽しむやり方、素敵ですね。

    customer_fukuroobi.jpg


  • 新芽

    先日からの気温の上昇で、カエデの木がたくさん新芽を出し始めました。赤く愛らしく、見る者の心を穏やかにしてくれます。

    昨今、不況だ不況だと世の中騒がしい様子ですが、自然は春になれば春の様子を呈し、どんと構えていますね。毎日きちんと朝が来て、日が暮れる。雨が降って土を濡らす。今年は桜の開花も早いようで、人間界は不況だから今年は咲くのやめてみようかって桜はないみたいですね。

    温かくなれば、さぁ咲こうかってなもんで。 現実、不況なんでしょうが、そろそろ不況という言葉にも飽き飽きですから。皆さん、カエデの新芽を見てしばし癒しの時間でもいかがですか。


    shoot.jpg


  • 続きものを着るときは

    個人的な心がけですが、きものを着る前日は足袋や下着にアイロンをかけます。そんな面倒なことしなくても、今どきはノンアイロンの足袋もありますよなんて言われそうですが、敢えてそうしているのです。

    皺を伸ばしながら、いろいろ考えるんです。着姿を想像して、翌日の予定に思いを馳せる。円滑に物事が運びますようにと、願いをかける。おまじないのようなものです。

    それに、皺が伸びた下着は気持ちがいい。自分にしか分からない満足感ですが、きものを着るときには、そういった人の目に見えない所作がとても大きく作用していると思います。

    面倒なことも、やってみると意外とやみつきになったりして。自分だけの密かなやり方を作ってみるのも、きものの楽しみ方のひとつです。


  • きものを着るときは

    さて、ずいぶんと温かくなって参りました。お天気が良いときものでのお出かけも楽しくなりますね。私がきものを着る際に気をつけていることのひとつに、下着選びがあります。特にこれからの季節はしっかりと汗と取ってくれるもの、肌に優しいものがベストです。

    ここ数年間愛用している肌襦袢が、こちらのあしべ織汗とり。吸水力の大変強い天然素材、燈芯が主な材料で、夏は汗取りになり冬は温かく防寒の役割がありますので、オールシーズンお使いいただけます。あせもでお悩みの方、一度ぜひお試し下さい。ちょうどお腹周りの部分が二重に織られておりますので、細身で補正が必要な方はタオルなしでもしっかりと帯が胴にのり、安心感を得られます。

    私はこの肌襦袢に出会ってから、こればかり。半信半疑で試されたお客様も、洗い替えに二枚目をお求めにいらっしゃいます。Mサイズ14,000円、L15,000円と、少し値は張りますが後悔はさせません。

    また、裾よけはキュプラという素材をお薦めします。汗をかいてもサラサラとしており足にまとわりつきません。特に、長時間正座なさる場合や舞踊のお稽古などに最適でしょう。下着は見えないものですが、肌に一番近い部分ですので、決して軽視なさらないで下さい。下着の素材感、有り様によって着姿や精神的な満足感がまるで違ってきます。今春は下着にご注目下さい。

    sweat_absorber.jpg


  • ケーキハウス ツマガリ 2

    昨日に引き続きまして、津曲語録をご紹介します。今日の語録は、呉服業界にもどの業界にも当てはまる深いお言葉です。

    タイトル;変わるものを追いかけてはいけない

    「モノを作っていく上で、流行しているものを追いかけたり、ただ形をまねするのではなく、伝統を知ったり、素材を知ることの方が大切です。そういう物事の基本になるものを知ることで、初めて応用させることができ、そこに独自性が生まれます。本質というものは、原理原則を追求したあとでようやくわかってくるものなのです。」

    大抵どのお菓子屋さんにも、これはずば抜けて美味しいけれどこれはイマイチといったように、商品によってズレがあると思いますが、津曲さんのお菓子は、どれを食べてもツマガリの味をしています。舌が肥えているわけでもないのに、偉そうなことばかり書きますが、本当にそうなんです。舌が素人の私にも分かります。クッキーにも、パイにも、パウンドケーキにも、それぞれの美味しさがありますが、どれにも同じ基本の味のようなものを感じます。どれを食べても外れはない安心感です。語録にあるように、素材や基本を大切にされている社長の理念が、きちんと味に表れています。

    甲山想い出小石という名のマカロンがあります。昨今のマカロン流行りで、色とりどり味もいろいろのマカロンを置いている店ばかりの中で、ツマガリさんのマカロンは究極にシンプル。ガナッシュチョコレートをアーモンド風味の生地で挟んだもの、ただ一種類。これが絶品です!冬季限定の販売ですので、来年をこうご期待。いつか自分ならではのマカロンを作りたいと、社長が20年越しで作り上げたものなんだそうです。何でも、本当にいいものは、たくさん作れないものなんですよね。


  • ケーキハウス ツマガリ

    西宮市は甲陽園というところに、洋菓子専門店のツマガリがあります。神戸に星の数ほど洋菓子店あれど、ここの焼き菓子には敵わないと思っています。定期的に、新商品やオススメ品の案内が届くのですがそこに社長である津曲さんの「津曲語録」が載っています。今日、明日とその一部をご紹介します。 本日は「好きな仕事に出会えた人は幸せ、また、好きになることも大切」というタイトルで始まるエピソードです。

    「私が若い時、運搬の仕事やさまざまな仕事を経験してからようやく洋菓子の仕事に出会いました。今から思えば、その当時に養われた強靱な体力や反骨精神が糧となったからこそ、この仕事に出会うことができ、続けて来られたのでしょう。コンテストに入賞してからというもの、寝ても覚めても考えるのはお菓子のことばかり。何事も一生懸命になることから道は拓けると思っています。」

    一生懸命という言葉通り、津曲さんのお菓子は誠実です。いつ食べても裏切らない、贈り物にしても必ず喜んでもらえる、そんな誠実な味がします。きっと誰が食べても美味しいと言うに違いない味なのに、決して大衆的な味ではありません。かといって、素朴とも違う。何かがあるんです。それが、他の人には真似できない感性なんでしょうね。津曲さんの歩んで来られた人生の中でしか出せない味なんでしょうね。

    個人的な感じ方ですが、津曲さんのお菓子はシンプルです。素材の良さを大切にしたシンプルさ。素材に誠実。それが飽きない理由なんだと思います。なかなか本店まで行けない私は、いつも大阪の大丸デパートの地下で入手しています。大阪駅の方まで行かれた折には、是非お土産に買って帰って下さい。店舗をたくさん持たない、ケーキなどの生菓子は本店でしか売らないやり方も、魅力のひとつです。

    ツマガリ


  • ざぶとん

    今週は、こちらの絞りの座布団がよく活躍しました。(つまり、来客が多かったということです。)お茶席用の座布団として作られているものですが、和洋折衷、どのような空間にもすんなり溶けこみ、座る人間の心地も良くしてくれる強者です。何より、染めの美しいこと!目を惹くので、座布団のことをまず聞かれます。ひとつ話題が生まれます。そこからまた会話が始まります。心が和みます。絞られている柄は円ですね。円滑に事が運びますように。座った人たちのハートがの○になりますように。そんな時のお助け役でございます。こちらの五色ひと組で別注を承っております。

    来客を理由にサボりがちだったので、明日からの週はがんばります。

    zabuton.jpg


  • 梅田でランチをしてきました。

    昨日は、大阪のお客様と梅田でランチをしました。場所は梅田芸術劇場のほど近く、SOLVIVAというお店。パスタ、グラタン、雑穀米プレートなど数種類あるランチメニューには、有機野菜が使われています。美味しい野菜や、お塩などの調味料が店内で販売されているのも魅力です。

    さて、本日の装い。どちらも大島紬です。お客様は春らしい白地に蚊絣の大島に、墨黒の名古屋帯という組み合わせ。私は黒無地の大島に、チェックの名古屋帯。同じ無地っぽい大島でも、白と黒で印象が全然違います。いろいろと帯で表情を変えて楽しむことができます。袖を通す度に柔らかくなり、からだになじむのも大島の特徴ですから、ちょっとしたお出かけも着物で行ってみたくなりますね。

    umeda.jpg


  • 生きること、死ぬこと

    近頃、映画「おくりびと」の影響で、生きること死ぬことが見つめ直されているようですね。

    今日は、生と死に対する個人的な考えを書いてみようと思います。私が初めて人に死に直面したのは3年前。祖母の死でした。入院しほとんど寝たきりになっている祖母の様子を毎日見る中で、まず命の強さを感じました。食べ物が喉を通らなくなっても、衰弱し切っていても、呼吸をしている限りは生きている。寿命が来るまで命が存在する。生きるとは、なんとしんどい行為であるかということを見せつけられました。同時に、こんなにも強いものがストップしてしまう、死とはいかにしんどいことかと思いました。生きることと死ぬことは、もしかして同じことなのではないか。そんな思いが心に浮かんだ時、一冊の本に出会いました。

    柳澤桂子著『生きて死ぬ智慧』です。日本を代表する生命科学者である氏が般若心経に解釈をつけたものなのですが、感銘を受けた私はそれから、死に向かう祖母の側で、その般若心経を実際に書き写してみることを始めました。すると、生死に対する自分なりの感じ方ができあがって行きました。生きることと死ぬことは、やはり同じこと。ただ、肉体として「ある」か、魂として「ある」か。この世は目に見えている、あの世は見えない。ただそれだけの違いではなかろうか。この世での姿かたちは仮のもので、本来は誰しも空(くう)の状態であり、死とは魂(=空)としての出発なのだと。

    祖母が亡くなって数時間後、あらためて顔を見るとそこに横たわっているのは確かに祖母でしたが、その顔は私が初めて見る表情をしていました。きっと、こんな顔で生まれてきたんだろうと思わせるような、赤ん坊のような可愛らしい顔をした祖母がいました。きっと、あの世で生まれ変わったのでしょう。死は出発点であることを実感しました。今日は祖母の月命日です。もうすぐお経が上がります。