今日はお休みです。 が、積もった雪が織りなす景色に感動したので、思わず記事を書いてしまいました!「しんしん」いう音が聴こえてくるようです。
-
-
心に留めたい言葉:1
雑誌『和樂』2009年1月号に、高台寺和久傳(こうだいじわくでん)のお正月迎えがドキュメントとして載っています。その中で、女将である桑村裕子さんが語られる言葉に感銘を受けました。
以下その引用、心に留めたい言葉です。
「『和』とともにある仕事の中でも、「残るもの」と「失っていくもの」があることを身近に感じることがあります。気がついたときには遅かったということもしばしばです。めまぐるしい変化のときにあっても、人のもっている時間だけは昔から変わりません。「残るもの」とは、人が人のために費やした時間をもったもので、「残るものは残る」のだと思うようになりました。
母のきものを染め直しては着るように、女将の「かたち」を習っては自分に染み込ませていくのが今の私の仕事です。頭では反抗することがあっても、体のほうがそのことをよくわかっているようです。」
-
米沢進之介の仕事:1
こちらの色無地は、友禅作家の米沢進之介さんの手によるものです。
作風の特徴は、ずばり!色!にあります。ひと言で色無地と言っても、この深い桃色にたどり着くまで、四度の染めを繰り返しています。このような明るい色は若い方向きかと思われがちですが、いざ鏡に映してみると予想以上に落ち着いた色であることに驚かされます。帯の組合わせ次第で、何歳になっても違和感のない着物だと思います。
若い時は若いなりの想いで、年齢を重ねるほどにいろいろな想いも重ねつつ、ずっと愛していける色無地ではないでしょうか。
袋帯は、唐織り「篭目に小花」。上品さと可憐さを兼ね備えた、優れものです。
-
たとえばショールの美しさとは
和装の醍醐味はショールにも見出せましょう。たとえばショールの美しさとは、肩を覆う柔らかなシルエットにありましょう。より女性らしさを表現する魔法の布のようなものです。
着物との色合わせもまた、楽しみのひとつでしょう。春らしいこちらのショールには、控えめに小花が刺繍されています。
-
纈(けち)こそ絞りの始まりぞ
絞りとは、布の一部をつまんで糸で括ったり、線や形に縫い締め、模様を染める染色法です。日本にもたらされたのは、奈良時代。シルクロードを通って正倉院に伝えられた染色品の中に、絞りの原型が見られます。
板締めによる挟纈(きょうけち)、ロウ防染の臈纈(ろうけち)、絞り染めの纐纈(こうけち)は三纈(さんけち)と呼ばれ、「纈」とは絞りを意味しました。
「絞り」というと非常にポピュラーな名称ですが、歴史は8世紀にまでさかのぼるのですね。インドの女性が纏うサリーにも絞りが施されていますし、アフリカやザイールなどでも絞りの技術は見受けられますが、日本ほど繊細で豪華な絞り染めが発達した国はないと言われています。本疋田絞りなどは、まさに日本人の感性の集大成でしょう。日本人が大切にしてきた文化、感性はずっと大切にしたいものです。
さて、今回『美しいキモノ2004春号』に掲載されました河上繁樹教授(関西学院大学)の資料を参考にさせていただきました。さらに詳しく調べられたい方は、『織りと染めの歴史ー日本編ー』河上繁樹、藤井健三著、昭和堂、1998をおすすめいたします。
-
無地は手強き相手なり
個人的に、無地や無地っぽい着物は好きです。帯でいろいろ格を変え、雰囲気を変え、一枚でいろいろなシチュエーションを楽しみます。
しかしながら、いろいろな帯を合わせることができるからと言って、無地は無難で気楽な着物かと言うと、そうではない。
いろいろやってみた結果、その答えにたどり着きました。そもそも無地は、柄がない分だけ素材そのものが活きていますから、身に纏う方にも素材力を求めてくる。良くも悪くも、「自分」というものを突きつけられる、纏う度にそんな感じがします。気合いを入れないと、着物に負けそうになることも、しばしば。。。(苦笑)
気楽に始めた無地着物、気がつけば「自分」との戦いに。これまで、何勝何敗か?!勝ったことなどあっただろうか。。。?(笑)
これも着物の醍醐味でしょう。「自分」を映し出す無地の着物、手強い相手ですが是非チャレンジを!!