さて、こちらは祇園ない藤さんで誂えていただいた籐表のお履物です。
お茶会や結婚式は、このお装履と決めています。フォーマル仕様であるのはもちろんですが、やはり履き心地がいいのです。いい緊張感を与えてくれるので、自然に背筋が伸びます。
このお装履は、母のものでした。今は私の寸法に変えていただいて、ご縁が続いています。お履物もきものと同じで、何代にも渡って身に付けるのが、本来の姿なのでしょう。
着ける朝は、いつもより多く香をたき、清め、今日いち日お守り下さいとお願いしています。
富山県氷見市の呉服屋 きものの館絲穂
個人的なことですが、数ヶ月前よりホットヨガを始めました。体の冷えを緩和すべく始めたのですが、自分の体について自分はなんと無知であったのかと思い知らされました。
人間の体は不思議ですね。体を温めて、汗をたくさんかいて、血の循環が良くなると、本当に体調が良くなるんですね。当たり前のことですが、当たり前に良いことをすれば、体は良い結果を出します。
最初は呼吸とポーズを合わせるのだけで精一杯だったり、体力もついて行かなかったりと、慣れるまでには少し時間がかかったのですが、余裕が出てくると、体の満足だけでなく心の満足を感じるようになります。深く呼吸できることへの感謝、手足が動くことへの感謝、今日生きていることへの感謝。
レッスンの最後に、インストラクターの方の「今日、ヨガをできたことに感謝します。ナマステ。ありがとうございました。」の言葉に合わせて、参加者全員で感謝をして終わります。回数を重ねる度に、その感謝の意味が分かるようになりました。
冷え性の改善、ダイエットなど、きっかけはいろいろなのでしょうが、ヨガの最終的な目的は、心の満足にあるのだと思います。
自分の体は、自分にしか分からないということ、体の声を聞いてあげること、メンテナンスすることに、近ごろ心を入れております。当たり前のことの大切さ、実感しております。
さて今年も、もみじの影が楽しい季節となりました。時間によって様々な場所に映る影との出会いは、まさに一期一会。さて、これはどこに映ったものでしょう。ちょっと視線を変えるだけで、いつもとは違う発見がありますね。
「一華開五葉、結果自然成」いっかごようにひらき、けっかじねんなる。ひとつの華から五枚の葉が広がり、結果として自然に大きなものに成るという意味に解釈しています。好きな禅語のひとつです。
五枚の葉を伴い美しく開いた花を見ると、いつも思い浮かべる言葉です。このような顔に出くわすと、今日はいち日うまく運びそうな気がします。今年はずっと気温が低かったので、例年より一ヶ月長く椿を楽しむことができました。
今日から5月です。今月は、どんな花の表情に出会えるのでしょうか。どんな一ヶ月になるのでしょうか。葉が開くように、大きな広がり、良いご縁の広がる月になれば嬉しいです。
裏管理人の発作的登場です。
このサイトでも何度か話題とされているように、藤子不二雄Ⓐ(安孫子素雄)先生は、氷見市の出身です。絲穂から徒歩1分もかからないところにある、光禅寺というお寺に生まれ、後に高岡市に引っ越しています。
高岡高校を卒業後、安孫子先生は、後に「藤子不二雄」の共同ペンネームを使うことになる、故藤本弘先生(藤子・F・不二雄)と上京するまでの間、富山新聞に勤めていたこともあるため、彼の自伝的なマンガであり、ドラマ化もされた『まんが道』には、高岡市内(大仏なども)がかなり描写されているのは、ご存知の通りです。すでに漫画家として人気が出ていた手塚治虫への手土産に、富山を代表するお菓子である「月世界」を持参したりと、富山の人ならば、ちょっとマニアックな視点からこのマンガを読むこともできるでしょう。
連休に入って少し時間もできたので、この『まんが道』を久しぶりで読み返し、その続編である『愛…しりそめし頃に…』も現在出ている巻をすべて取り寄せ、読み始めました。この自伝的なマンガを読んで強く心を打たれるのは、今では伝説となったトキワ荘に集まった藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫、そして手塚治虫といった、後に日本の漫画界の中心となっていく人物たちが、マンガという表現形式を発展させ、読者に何かを伝えたいという純粋な思いを胸に、「青春時代」を過ごしていたということです(手塚治虫を含めて全員がまだ20代だったことには驚かされます)。マンガという媒体が、どのようなものになっていくのか、まだ皆目見当もつかないような黎明期ですから、こうすれば売れる、というような方程式も存在していません。将来自分たちはどうなっていくんだろう、という不安感も、これらのマンガの中では何度も吐露されますし、金銭的な危機も描かれます。それでも、描き続けなければ自分はないのだ、というような信念に基づき(それがたとえくじけそうな時はあるにせよ)、この若き漫画家たちは当時を過ごしていました。
あらゆる点において弱体化が目立つ今だからこそ、このマンガに描かれているような不器用なまでの「ひたむきさ」というのを、もう一度考え直してみる必要があるのではないかと考えていました。徹夜続きでマンガを描き続ける彼らの姿は、拡大していけば、そのまま戦後の日本が世界の中で這い上がろうとしている姿になるのでしょう。好景気の時に、「ダサい」、「カッコ悪い」ものとして、顧みなくなったこの「ひたむきさ」が、実はこれまでの日本の発展、繁栄を根底で支えていたものだったのかもしれません。夜を昼に継いで誠実にマンガを描き続ける彼らの姿には、個人的には勇気づけられるところが多いです。たとえマンガであっても、その中にある物語は、自分の足もとを考え直すのに十分なだけの力をもっているようです。
先週より、辻井伸行氏のショパン・コンクールの演奏を流しています。ピアノに関して素人ですが、素人なりに感じたままを申しますと、とても素直な演奏だと思います。風景や情景がイメージとして浮かぶような、スッと心に入ってくる音色です。ショパンっていいな、もっと聴いてみたいなと純粋に感じる音色です。
皆さまは、どのように感じられますでしょうか。店内にて、じっくりお楽しみ下さいませ。