• ざぶとん

    今週は、こちらの絞りの座布団がよく活躍しました。(つまり、来客が多かったということです。)お茶席用の座布団として作られているものですが、和洋折衷、どのような空間にもすんなり溶けこみ、座る人間の心地も良くしてくれる強者です。何より、染めの美しいこと!目を惹くので、座布団のことをまず聞かれます。ひとつ話題が生まれます。そこからまた会話が始まります。心が和みます。絞られている柄は円ですね。円滑に事が運びますように。座った人たちのハートがの○になりますように。そんな時のお助け役でございます。こちらの五色ひと組で別注を承っております。

    来客を理由にサボりがちだったので、明日からの週はがんばります。

    zabuton.jpg


  • 梅田でランチをしてきました。

    昨日は、大阪のお客様と梅田でランチをしました。場所は梅田芸術劇場のほど近く、SOLVIVAというお店。パスタ、グラタン、雑穀米プレートなど数種類あるランチメニューには、有機野菜が使われています。美味しい野菜や、お塩などの調味料が店内で販売されているのも魅力です。

    さて、本日の装い。どちらも大島紬です。お客様は春らしい白地に蚊絣の大島に、墨黒の名古屋帯という組み合わせ。私は黒無地の大島に、チェックの名古屋帯。同じ無地っぽい大島でも、白と黒で印象が全然違います。いろいろと帯で表情を変えて楽しむことができます。袖を通す度に柔らかくなり、からだになじむのも大島の特徴ですから、ちょっとしたお出かけも着物で行ってみたくなりますね。

    umeda.jpg


  • 生きること、死ぬこと

    近頃、映画「おくりびと」の影響で、生きること死ぬことが見つめ直されているようですね。

    今日は、生と死に対する個人的な考えを書いてみようと思います。私が初めて人に死に直面したのは3年前。祖母の死でした。入院しほとんど寝たきりになっている祖母の様子を毎日見る中で、まず命の強さを感じました。食べ物が喉を通らなくなっても、衰弱し切っていても、呼吸をしている限りは生きている。寿命が来るまで命が存在する。生きるとは、なんとしんどい行為であるかということを見せつけられました。同時に、こんなにも強いものがストップしてしまう、死とはいかにしんどいことかと思いました。生きることと死ぬことは、もしかして同じことなのではないか。そんな思いが心に浮かんだ時、一冊の本に出会いました。

    柳澤桂子著『生きて死ぬ智慧』です。日本を代表する生命科学者である氏が般若心経に解釈をつけたものなのですが、感銘を受けた私はそれから、死に向かう祖母の側で、その般若心経を実際に書き写してみることを始めました。すると、生死に対する自分なりの感じ方ができあがって行きました。生きることと死ぬことは、やはり同じこと。ただ、肉体として「ある」か、魂として「ある」か。この世は目に見えている、あの世は見えない。ただそれだけの違いではなかろうか。この世での姿かたちは仮のもので、本来は誰しも空(くう)の状態であり、死とは魂(=空)としての出発なのだと。

    祖母が亡くなって数時間後、あらためて顔を見るとそこに横たわっているのは確かに祖母でしたが、その顔は私が初めて見る表情をしていました。きっと、こんな顔で生まれてきたんだろうと思わせるような、赤ん坊のような可愛らしい顔をした祖母がいました。きっと、あの世で生まれ変わったのでしょう。死は出発点であることを実感しました。今日は祖母の月命日です。もうすぐお経が上がります。


  • 啓蟄

    今日は啓蟄です。虫たちが土から這い出てくる日とのこと。まだまだ寒さは続きますが、見えないところで春は着実に近づいて来ているのでしょう。

    作家の幸田文氏は著作『季節のかたみ』の中で三月を「ものの始まろうとする月、動きだそうとする月、気鋭の月」と表現しています。絲穂のカエデの木々も今はすっかり葉の落ちた状態ですが、時々、山鳥のつがいが止まり何かをついばんでいます。新芽をつついているのでしょうか。私たちの目には簡単に見えませんが、自然の生き物たちには木々の新しい生命がはっきりと見えているのでしょう。自然は、感じ取る春があることを教えてくれます。

    garden_bouze.jpg

    “季節のかたみ” (幸田 文)※文庫版もあります


  • 本日のお客様

    本日、着付けの練習にお見えになったお客様です。お子様の卒業式にひとりで着て出掛けたい!とのこと、今日で2回目の練習ですがすっかり着慣れしたご様子です。

    customer0304_1.jpg

    着物も帯も江戸小紋という組み合わせ。帯は藍田正雄作「引き杢」の名古屋帯。グレーで統一されたコーディネートに、帯の杢目模様が大きなインパクトとなりメリハリを与えます。 生地の状態で見るとちょっと地味に感じる引き杢、いざ締めてみるとたいへんに主張する帯ですね。上質な帯は人の体に巻かれて初めて本領を発揮するとうことを、改めて学びました。

    customer0304_2.jpg


  • うれしいひなまつり

    あかりをつけましょ ぼんぼりに、で始まるひな祭りのうた、誰でも耳にしたことがある有名なうたですが、全歌詞をご存知でしょうか?

    じっくり読んでみると、雛まつりが晴れの日であること、華やかで賑やかな一日であることを改めて感じます。段々に飾られたお人形たちをそのまま描写した詩ですが、笛や太鼓で囃す五人囃子の音、きれいなお内裏さまとお雛さまの姿、そして、ほろ酔いの右大臣が本当に眼前によみがえってくるようで、躍動感や幸福感に満ちています。

    灯火を点けましょ ぼんぼりに
    お花を上げましょ 桃の花
    五人囃子の 笛 太鼓
    今日は楽しい 雛まつり

    お内裏さまと お雛さま
    二人ならんで すまし顔
    お嫁にいらした 姉さまに
    よく似た官女の 白い顔

    金の屏風に 映る灯を
    かすかにゆする 春の風
    すこし白酒 召されたか
    赤いお顔の 右大臣

    着物を着かえて 帯しめて
    今日は私も 晴姿
    春の弥生の このよき日
    何より嬉しい 雛まつり


  • 有職雛

    今年も我が家の有職雛が揃いました。京都、田中人形製。

    hina_1.jpg

    衣裳はすべて人間国宝 喜多川平朗氏によるもの。時を経る毎に増す染色の落ち着きや織りの風合いから、その手仕事の素晴しさを感じます。

    hina_2.jpg

    今から30年前、このお人形たちは縁あって我が家にやってきました。幼い頃は毎年この時期になると、いつの間にか大人たちの手によってこのように段々に並べられ、いつの間にか仕舞われていました。時が経ち、この頃は自分も人形たちをひとりひとり箱から出し、また箱に仕舞う作業に関わるようになると、自然に思い入れも変わってきました。「縁があって」我が家に来てくれた不思議、今もひとつも損なわれることなくある不思議、こうして今年も無事に段に並んでくれた不思議を思うと、当たり前のようにあることどもは決して当たり前でないと感じるようになりました。今月は、有職雛とともに皆様をお待ち申し上げております。

    ※「有職」=「ゆうそく」(←無知な「裏管理人」によるコメント)


  • 春を告げる花守り

    今日から三月です。 桜の花が待ち遠しいですね。昨日まで3日間このブログを占拠していた「裏管理人」も関西に戻り、絲穂にふたたび落ち着いた日々が戻ってきました。

    今井廉作、花守りを図案化した名古屋帯あります。

    こちらは背中に出る部分。

    shiho_P1010743.jpg

    こちらふたつの柄はお腹に出る部分。TPOに合わせて両面お楽しみ下さい。

    shiho_P1010744.jpg

    shiho_P1010745.jpg


  • 裏管理人ふたたび:3

    以前きときと舎を紹介しましたが、他のお客さんがいらっしゃったので、店内の様子を撮影することができませんでした。今回、たまたま僕たちだけだったので、すかさず撮影。前回は伝わらなかった店内の雰囲気をご覧下さい。

    いろんな小物、アンティークが置かれているのですが、座っていると本当に落ち着きます。隠れ家に忍び込んでいるような感じ。

    shiho_P1000777.jpg

    以前ご紹介したときに、「昔のジャズ喫茶」みたいだと書きました。その印象は今回も変わりません。僕が学生の頃は、このような喫茶店がたくさんありましたが、今では喫茶店そのものの数が減り、ジャズを聞く若者というのも少なくなっているようです。学生街には必ず数軒あったこういうお店は、今や希少価値(学生街の雀荘もそうでしょうか)。

    shiho_P1000828.jpg

    自らがジャズ喫茶のオーナーであり、ジャズ評論家でもある寺島靖国さんが、著書の『辛口!JAZZノート』の中で、ご自身が学生の頃に初めてジャズ喫茶に足を踏み入れた頃のことを書いています。ひょっとしたら今もそうかもしれませんが、ジャズ喫茶というのは、他の喫茶店と比べて、初めてのお客さんにしてみれば、何となく敷居が高くて入りづらいというイメージが当時はもっと濃厚だったとのこと。それはそうでしょうね。難解そうに聞こえるので、それなりの蘊蓄とセンスをもっていなければお呼びではないという匂いがジャズにはあります。だから、そのような音楽を専門に聞かせるような喫茶店のお客さん、経営者というのはうるさ型で、知識がない初心者を歯牙にもかけないのではないかと思ってしまいがちです。

    きときと舎には、そのような排他的なところは全くありません。初めてのお客さんでも、よく通う人でも、常に同じ距離感で接してくれます。店内でかかっているジャズについて尋ねると、嫌な顔など全くせずに教えてくれます。

    上の写真を撮ってから2時間くらいが経過した、夜の11時近くだったでしょうか、小学生の娘さんたち3人を連れてやってきたご夫婦がいました。お酒を出す薄暗いお店へ、深夜に近い時間帯でありながら子供を連れてくるということに大変驚いたのですが、どうやら近所で割烹を経営している方のご家族だったようです。つまり、土曜の夜ということもあって、ふだんはなかなかできない家族そろっての晩ご飯をきときと舎でとっていたわけですね。こんな風に家族連れでも気軽に食事が取れるお店です。一方で、カウンターには2次会で飲み直しているお客さんたちもいて、普通のお店ならば相容れないような光景が、違和感なく融けあっています。この店の懐の深さを感じさせる出来事でした。

    ちなみに、上の2枚目の写真に写っている、雑誌を読んで(いるふりをして)いる人は、このブログの本来の管理人です。


  • 裏管理人ふたたび:2

    氷見市海浜植物園に行ってみました。以前、ちょっとだけmicchoが紹介していたことがあります。

    shiho_P1000791.jpg

    遠くから見ると、かなり変わったデザインの建物です。

    shiho_P1000789.jpg

    4階の展望台部分を下から見上げたところ。

    P1000790.JPG

    温室の中は植物の呼吸でむせ返りそうになっています。

    P1000792.JPG

    特になんてことはない植物にしか見えないのですが…

    P1000793.JPG

    すごい名称がついていました。命名が八方破れです。

    P1000794.JPG

    これはなにやら変わった形の木。

    P1000796.JPG

    これも変わった名称ですが、上の木のような柔軟すぎる発想に基づくのではなく、この木自体がもつ機能に由来するようです。

    P1000797.JPG

    サボテンがいっぱい並んでいました。痛いとわかっていても、どうしても指先で突きたくなるのはどうしてでしょう?

    P1000798.JPG

    最上階(4階)は展望スペースになっています。

    P1000799.JPG

    晴れていたら、もっと眺望が開けているのでしょうね。日本海を遠くに望めます。

    P1000800.JPG

    温室が円の形になっているのが上からよくわかりますね。

    P1000801.JPG

    今のところ入場が無料になっています。この日は「漂流物展」という展示が行われていました。氷見の海岸に漂着する、様々なゴミ、ガラクタをそのまま展示しているだけなのですが、遠く中国(台湾かも?)や韓国などからも、ライターなどが流れてきているのを実際に目にすると、海は世界中をつなげているのだという当たり前の感覚が異化されるような気分になります。