• カテゴリー別アーカイブ あれこれ
  • 藤井絞の記憶─階段─

    長年お付き合いの続いている問屋さんのひとつに、藤井絞さんがあります。それより以前の記憶はないのですが、3歳の頃には確実に「藤井絞」の中にいたことを覚えています。当時から、京都に行くと言えば祖母と母に連れられて問屋さん巡り。ふたりが仕入れをしている間は、何時間もずっと正座をして終わるのを待ちました。

    藤井絞さんには、玄関を上がってすぐに二階へと続く階段があります。二階は仕入れの場所、一階は私が待つ場所。祖母と母が階段を上がることは、私にとってはお行儀よくしなければならない時間がやって来ることを意味し、子供ながらに結構な覚悟をしたものでした。その階段は、大人の世界と子供の世界を分ける境界線、大人になれば上ることのできる希望のようなものでした。

    今、年齢だけは大人になった私は、もちろん二階へ通してもらえるのですが、嬉しい反面、身の引き締まる思いがします。子供の目線で見上げた階段は、とても高く大きく、まさに大人の象徴でしたが、当時心に描いていた大人像に近付くには、まだ時間がかかりそうです。いつか自信を持ってこの階段を上りたいと、いつも思います。


  • 『サザエさん』のフネさん

    毎週日曜日の午後6時半はやっぱり『サザエさん』。国民的といってもいいアニメーションですね。

    和服の達人と言えば、フネさん。芝居見物に出掛けたり、デパートにお買い物なんて時は、相応しい着物に着替えます。アニメと侮ることなかれ。このコーディネートがなかなか素敵!!色合わせ、さりげない帯の模様、フネさんらしさが漂います。また、この時期は浴衣姿のサザエさんも登場しますが、そのデザインにハッとすることがあります。

    ほかにも、実は花壇に植えてある花が季節によって変わっていたり、必ずその時期を意識させるエピソードがあったり、四季を大切にした番組です。さて、明日はどんなおはなしでしょうか。


  • 時を忘れるための時計

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    この時計との出会ったのは、アンティークアナスタシアさん。何となく立ち寄ったお店で、ご主人に勧められるまま腕に着けてみると、何ともしっくりぴったり、気に入ってしまったのです。洋服の時はもちろんですが、なんと言っても和装の時に大活躍している時計です。大島などの織物にも、江戸小紋のようなやこものにもマッチします。着物と時計のバランスは意外と難しいのですが、アンティークウォッチはすんなり和装に溶けこみ、時計の良さも損なわれることがありません。やはりどちらも一点ものの世界だからでしょうか。中を開くとわかるのですが、時計の歯車や組織は時計ごとに特徴があり、中にはルビーが埋め込まれている美しいものもあります。隠れた部分にこだわるのも、和の世界と共通していますね。

    アンティークウォッチを着ける時は、自分でネジを巻いて時間を合わせます。次第に5分10分の誤差が生じてきたりします。そんなの面倒だし、時計じゃないと思われるかもしれませんが、それこそがアンティークウォッチの魅力だと私は考えています。せっかくドレスアップした日には、これから起こるあれこれを想像しながら、自分の手で時間を始めるなんてとても素敵ではありませんか。それに、せっかくドレスアップした日は、時間を忘れたくはないですか?ちょっとした誤差から、ちょっと良いストーリーが始まるかもしれません。

    特別な日には、時を忘れるための時計を。


  • 『青眉抄』─上村松園─

    世に美人画は星の数ほどありますが、私は上村松園の描く女性が一番好きです。女性らしい柔らかな雰囲気の中に、きりりとした品格があり惹かれます。美女たちが着ている着物の美しさにもまた、松園ならではの色遣いがあります。袖のふりから見える重ねの色にハッとさせられますし、着こなし、仕草、和服と女性を際立たせる背景、いろいろ真似したいことばかり。

    松園が、自身の生い立ちや母の影響について書いた『青眉抄』という著作があります。女性の青く美しい眉は母親の面影だそうで、凛とした女性像の秘密も明らかになります。作品もたくさん掲載された、美しい一冊です。

    さて、高岡市美術館では7月20日まで、文化勲章38人が描く「日本の心」という企画展が催されています。その中に、松園の作品もあります。皆さま是非、足をお運び下さいませ。青い眉に注目です。

    高岡市美術館 企画展示


  • もうすぐ祇園祭

    来月、京都は祇園祭で華やぎます。 その頃に展示会をされる藤井絞りさんでは、世にも贅沢な経験をさせていただけます。都を彩る鉾は、移動する貴重な美術品。それを本当に間近で拝見することができます。

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    その町内の鉾の綱を引くチャンスにも恵まれます。去年、友人と参加させていただいた時の様子です。肝心の綱は写っていませんが、しっかりと握りしめております!!町内のみなさん、観光客のみなさん、とにかく総出で綱を握り、鉾をひっぱります。何でもこの綱には厄よけのご利益があるそうですよ。本当にご縁がないと巡り会えないチャンスです。

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    十数年ぶりに祇園祭にお邪魔し、あらためて京都という土地の魅力を実感しました。点在する鉾を眺めながら、そぞろ歩くと何とも言えない高揚感や荘厳さに酔ってしまいます。まさに「文化」を体感する感覚です。そして、藤井絞りさんに通していただくと、そちらでしかお目にかかれない素晴しいお道具の数々に出会うことができます。贅沢に敷き詰められた鍋島段通、上坂雪華の屏風、まさにプライベート美術館。

    さて、今年はご縁がありますでしょうか。


  • 『父・こんなこと』─幸田文─

    明日は父の日です。みな様、どのように過ごされますか?

    父=幸田文という方程式が私の中に定着したのは、『父•こんなこと』を読んだ時からでしょう。『父』という作品は、文氏が、父である幸田露伴の病床に臥す様子、死に向かう様子、そして葬儀の様子を記録し綴ったものです。看病する娘としての心の葛藤、父と娘の間で行き交う心の緊張感が随所に描かれ、父娘の在り方というもの、病や死に対する向き合い方を考えさせられます。

    例えば、この一節は印象的でした。

    看病は実に父とのいさかいだった。…病人に対する心持ちの粗雑さ、操作の不手際、何もかも気に入らないことだらけらしかった。不満足が皮肉になって飛んで来た、不平が慨嘆調で投げられた、じれったさが意地悪になって破裂した。早くよくなってもらいたさでいながら、目の前に浴びせられる不愉快なことば、仏頂面は反抗心をそそった。…そのことば、その調子を一緒に聞いても他人は刺戟されないのに、私はざっくり割りつけられたような痛みをうけとった。そういうことが血がつながっていることだと思っていたし、そういう悲しい宿命に堪えなくてはならない親子であった。

    読み進めて行くうちに、強く感じるのは文氏の父への尊敬の念。こんな風に父親を尊敬している娘は、今の日本にどのくらいいるだろうか、、、とつい考えてしまいます。

    そして続く『こんなこと』には、文氏が幼い頃から父に教わった日常のいろいろについて書かれています。掃除の仕方や、豆腐の切り方、障子の張り方、借金の挨拶などについて。テンポ良く楽しむことのできる、面白い作品です。

    幸田文氏の著作には、必ずと言っていいほど自身の着物が表紙カバーに用いられています。それだけ見ても、着物の勉強になるくらい素晴らしいものばかりです。まずは表紙から入ってみるのもいいかもしれませんよ。


  • 絲穂の楽しみ方6

    県内、梅雨入りしました。

    雨の日は、前庭を臨むスペースへ。 水たまりにできる波紋、雨粒の重みで枝垂れるカエデ。 その雨粒は、晴れ間に陽が差せばきらきらと輝きを放ちます。

    雨の日にしか経験できない風景があります。

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  • 悲しみよ こんにちはーフランソワーズ・サガンー

    サガンの名作『悲しみよこんにちは』 を読まれたことはありますか?今年は作品が誕生して50周年ということで、日本でもサガンの人生を映画化したものが、まもなく放映されるそうです。

    初めて読んだ中学二年の時から、この作品は私にとってなくてはならないものとなりました。「ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。」という始まりは、当時の私の心を捉え、小説に引き込まれて行きました。主人公である17歳のセシルに、理性的な女性アンヌが(セシルの新しい母親になる予定の女性)恋愛について次のように諭す場面があります。「あなたは恋愛について少し単純すぎる考えを持っているわ。それは独立した感覚の連続ではないのよ。」…「そこには絶え間ない愛情、優しさ、ある人の不在を強く感じること。」このあたりの台詞がとても印象的で、特に「ある人の不在を強く感じること」という部分は、10代の私には理解に難しかったのですが、いつか理解できるハズだと思いそれから毎年、読み返すようになりました。同じ作品でも、毎年感じ方が違うものです。それまで読み過ごしていたところを、突然面白いと感じたり、逆に大好きだった場面がそうでもなくなったり。作品に対して新鮮さを感じると同時に、自分という人間の新たな一面を発見することにもなります。

    登場人物は17歳のセシル、プレイボーイのセシルの父、その恋人エルザ、父のもうひとりのガールフレンドであるアンヌ、セシルのボーイフレンドのシリル。17歳の少女特有の純粋さ、それゆえの残酷さ、独占欲、完璧なものに対する反発など、微妙に揺れ動く心理状態を軸に物語は展開します。

    さて、この5人が織りなす悲しみの世界とは、いかに‥。